紺屋町の歴史は、またそこの町人が刻んで行く。
5年前の紺屋町BARの実行委員長の写真です。
そして17年モデル。
どうですか。
マイナーチェンジくらいで、大幅な変更点は見受けられませんね。
一回目の紺屋町BARに携わるきっかけは、とある先輩の一声でした。
「商店街が頑張っとんやけん手伝わなあかんやろ。」
近年では全国的に見ても、商店街の衰退は顕著です。
その中で当時から、紺屋町商店街の若手経営者が力を合わせて再開発事業に取り組まれていました。
その背中を見てYEGで出来る協力を。
それは、身体を使うものであったり、頭を使うものでもあったと思います。
第一回目の紺屋町BARは、この二人が西条YEGにとっても、重要な存在になるきっかけでもありました。
昨晩、アイパー副会長も良いこと言ってました。
誰かを想って行動に移す。
それが今回にも繋がっているのでしょう。
そして、今回皆が協力してくれた事がまた次に繋がります。
昨晩は大盛況でしたね♪
浴衣を着ていた方もチラホラいたようで、
新聞屋の旦那や
見返り美人も。
もういっちょ。
対外事業に関わるあり方は、地域を支える青年経済人としての役割を考えなければいけません。
我々は、どうやるかではなく、なぜやるかを考えてみる。
これからも。
紺屋町は江戸時代に陣屋が開かれた頃から続く商人の町です。