ぶらり大師町。
お大師堂があったことから名付けられたこの町。その規模は距離にして100メートルちょっとくらいの筋町。昔から20軒ちょっとで成り立っており、その筋町を見下ろすような形で大きな銀杏の樹がある。
幼少期に遡って、ぶらり大師町。
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その頃の僕にとっての商店街は大師町でした。
幼稚園はマリア幼稚園という、アーメン的な幼稚園に通ってました。
班に分かれて帰ってくるのですが、クロネコのパン屋さんのところで「みなさんさよーなら」になります。
そこから商店街の友達何人かと一緒ですが、ポツリ、ポツリ、と皆は商店に入って行き、大屋の手前くらいになると一人になっています。
栄町、紺屋町のアーケードをキョロキョロ抜けて、アオイロードに入ります。ちょうど中頃に、かどやという靴屋さんがあります。そこを曲がると、急に青空が広がります。
そこから先はパラダイス。
すぐ左手に小鳥屋さんがあって、朝夕かまわずピヨピヨチッチチッチ鳴いていて
右側には八丁食堂。鍋焼きうどん、カツ丼、中華そば。。。何でも美味しくて。そこの駐車場には大きなシェパードが首輪をつけて睨んで来る。そういえば、あの犬、ホウロウの鍋で餌食ってたな。そこは通るのが、怖くて怖くて。
ちょうど中頃まで歩いて来ると、天満宮。
鳥居に石を二、三個投げてみる。
大きな銀杏の木があって、その下に狛犬のあ・うん。
天満宮の前には自転車屋さん。
うちのじいちゃん家です。
うちのじいちゃんは、いつも無口に自転車の修理をしています。
ばーちゃんは「おかえり」と迎えてくれます。
けれど、僕の目的地はそこではない。
「ただいま」もそこそこに
自転車屋の二軒隣の酒屋に行く。
そこにはいつも、「通さんぞ〜っ」って、道幅いっぱいに手を広げられるほど巨大に見えたおじいさんがいます。その手を掻い潜って、その酒屋の店先にある大きな瓶から味付けノリを勝手に頂戴する。硬くて開かない時は、おばちゃんが開けてくれます。
そのまま酒屋の裏口まで行って、そのまた隣の店「あわや」から出て来る。そこは八百屋さんで、コンニャクを作りながら、おばちゃんは綺麗な歌声で歌っている。
「あわや」から出て来ると、当時流行っていたビリヤード場が見える。「玉突」と大きく書いてある看板と、なみなみのガラス張りの入口。
その前には骨董品屋さん。
そこまで来たら家はもうすぐ。
ってところに、伊藤店という八百屋がある。
綺麗なブドウが仕入れられていて、
「おばちゃん、これ1つやっといてや」
と、勝手に注文してみる。
陽気クリーニングに服を預けていた母に見つかり、耳引っ張られながら家に着く。
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もう35年も前の話。
あの頃の大師町は、ザワザワしてました。